■「長崎少女殺人事件」と「ネット罪悪論」(7月号)

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山崎行太郎の「月刊・文芸時評」(「月刊日本」7月号)
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■「長崎少女殺人事件」と「ネット罪悪論」

 かねてから少年犯罪に着目し、しかも文学と犯罪を同じような人間の存在論的行為とみなしてきた秋山駿が、今月も(「文学の葉脈(十)」「新潮」七月号)、こんなことを書いている。

  ≪翻って今日の現実を見てみよう。自己紛失の光景はいっそう深化しているようだ。文学より犯罪の方が指標になる。未成年による理由なき殺人が、それだ。自己紛失の場面に素直に無邪気に直面した者が、混乱の頂点で、自己発見へと走る。それが、犯行である。それは、人が初めて詩を書くときの自己発見の行為と、同じである。だが、その自己発見が、詩では自己想像の行為となるが、犯行では強烈な自己破壊の衝動になってしまう。(この二者の分岐点が、未だ私には分からない。明らかに考えることが私には出来ない。)ある少年の犯行者は、人間がそれほど壊れやすいものであるか否かを、「実験」してみた、と言った。自己紛失は、同時に、人とはどういう生き物であるかという意味の紛失、人生という生きる上での運命的な意味の紛失をもたらす。だから「実験」するのだ。≫

 秋山駿の言うことは正しい。文学(詩)と犯罪は同じように「虚無」からの実践であり行為である。凶悪犯罪がわれわれの関心を引き付けるのは、それがきわめて人間的な行為であり、実存的な実践だからだ。つまり、意味を喪失した人間による意味の探究と回復の試み、それが犯罪である。

 ところで、秋山駿が予告したように、またまた世間をアッと言わせるような衝撃的な凶悪犯罪が起きた。長崎県佐世保の小6少女が、同級生の友達の首をカッターナイフーで10センチも刺し、その後15分間も死体とともに過ごしていた、(一説では死んだ被害者の頭を踏んだり蹴ったりしていた・・・…)という「長崎小6少女殺人事件」である。言うまでもなく、ここにも自己喪失に直面した人間がいる。

 ところで、最近はいつものことだが、こういう凶悪事件がおきると、例によって警察、マスコミ、学校、人権派弁護士らによる一方的で過剰な情報操作によって、パソソコンやチャット、あるいは「2ちゃんねる」(巨大掲示板)がやり玉に挙げられるのが通例だ。、今回は、犯人の少女がチャットのカキコミが犯行の動機であると告白したために、いち早く安直な「ネット批判」や「チャット批判」が爆発した。まるでパソコンやネットが真犯人であるかのように。そして中には「子供からパソコンをとりあげろ!」という過激な発言をする人まで出てきている。これが、いわゆる「わかりやすい答え」の捏造による真実の隠蔽であることは言うまでもない。文学や批評が闘わなければならない敵は、そういう擬似問題の捏造と真実の隠蔽工作である。

 今、パソコンやチャットが批判の対象として狙われるのは何故か。それは、そこが現代の情報の集積地だからである。少女自身が告白しているように、たしかにパソコンのカキコミから事件は起こったのだから、この凶悪事件の原因はパソコンであり、チャットである、と言うのは間違いではない。しかし「ネット元凶論」はあまりにも短絡し過ぎている。

■「2ちゃんねる」が日本を救う日。

 この事件について、ネットに「はまる」ことによって、「現実」と「虚構(ヴァーチャル)」の区別がつかなくなった、あるいはネットでは顔が見えないために悪口や批判が過激になり憎悪が増幅され、それが犯行の引き金になったのではないか、というような通俗的な分析や解釈が横行している。

 ところで、この事件は、私は別の意味で重要な意味を持った事件だと思っている。それは「ネット社会が小説の文体を変える」よな事態がおこりつつあることを暗示しているからだ。おそらく長崎の少女もそのネットによる文体革命の流れに飲み込まれたのであろう。たとえば、明治20年頃から始まった「言文一致体」は、明治維新後の国家改造の一環として起きた「文字改革」の結果として生まれてきたものである。言語改革による言文一致体の確立によって人々は「小説を書く」ことを覚えた。誰でも容易に小説を書くことができるようになったのである。小説の大衆化と小説の特権化はそこから始まった。

 前回取り上げたモブ・ノリオの「介護入門」や十文字美香「狐寝入夢虜」が、あるいは川端康成賞を受賞した糸糸山秋子がそうであったように、最近のすぐれた小説の文体には大きな地殻変動が感じられる。一種の「ネット的文体」の登場とでも呼ぶべき変化である。言文一致体は、「漢字中心文化」から「音声言語文化」の転換の結果として起こったものだったが、いま、小学生の少女たちまでが大人顔負けの文章をネット上に書きこんでいるが、それを可能にしたのはパソコンでありネットである。

 私は、新聞やテレビがネット批判に夢中になるのは、読者をそちらの方に奪われつつあるからだと思っている。現にこの私ですら、パソコンを本格的にやりはじめてからテレビや新聞の情報に興味がなくなった。「はまる」という言葉があるが、文字通り私もパソコンとネットに「はまった」一人である。

 パソコンやネットの中の何が引きつけるのだろうか。何故、人はパソコンを始めると夢中になるのか。それは、ネットが「書く喜び」を提供しているからだ。かつて、小説というものもそういう危険な魅力を備えていた。文学少女や文学少年は、親や家を捨ててまでも「小説家になる」ことをめざして上京してきた。むろん社会は彼らを厳しく批判し、排除しようとしたが。

■中年世代にとってパソコンとは何か。

 パソコンと言えば、中原昌也の「私の『パソコンタイムズ』顛末記」「文学界」七月号が、最近のパソコン事情を描いて面白い。「週刊パソコンタイムズ」というパソコン雑誌の編集長として大成功している「多賀氏」への取材を通して、浮き沈みの激しいパソコン業界の内情とその結末が描かれている。若いときにはかなりの乱暴狼藉繰り返してきたと言う多賀氏。いまだ独身で、ハードコアポルノに「癒し」を求めていると言う多賀氏。しかし、飛ぶ鳥を落とす勢いだったその多賀氏も、取材から数年後には雑誌は廃刊し、しかも彼自身も酔っ払い運転のダンプカーの降臨に巻き込まれて死亡したと言う。

 パソコン業界の先頭を走る情報エリート・多賀氏の話に次のような部分がある。

  ≪現実の女性よりもこうしてハードコアポルノの雑誌やヴイデオの中の女性たちの方がどれだけ人間的で優しいことか。もう女性なんてこういう世界のイメージだけで十分です。全部虐殺してしまってもかまわないんじゃないでしょうか? いやいや、これはあからさまに反感を買うような間違った意見なんでしょうけどもね。そもそも人間なんかよりも、こうしてハードコアポルノの雑誌やヴイデオなんかに囲まれて暮らしている方が心も休まりますよ。≫

 ここには、いわゆる「現実」と「虚構(映像)」との転倒が語られている。しかし実は、われわれが自明の前提として考える「現実」というものも厳密に考えれば虚構に過ぎない。現実の女よりビデオの中の女にリアリティを感じる。それは決して不自然なことではない。

  南木佳士の「こぶしの上のダルマ」(「文学界」七月号)にもパソコンとの出会いが描かれている。手書き、ワープロ、そしてパソコンへ。これが一般的なコースだが、その乗り換えの様子を、旧世代の視点から描いている。南木佳士の世代がどのようにしてこの新しい文明の利器であるパソコンに出会い、それをどう使いこなし、どう受け止めているかを知る事ができる。

 南木佳士は、ワープロに関しては、それがまだ100万円もする高価の貴重品だった時代に購入し、小説の執筆に愛用していたらしい。ところがそのワープロが故障したことで、修理を依頼すると、すでにワープロそのものが製造中止であることを知る。しかも勤務先の病院までがパソコンを導入し、医療活動自体がパソコンで管理されるようになる。

 こうしてパソコン生活が始まるが、やはり本音は、「生の人間と生死の話をしながらつながっていたいのだ」と思っている。やがて自分のパソコンも購入し、レッスンの成果もあって、≪ブロードバンド、インターネット、メール、デジカメ、とお決まりの入門コースをたどってスキャナーにたどり着き≫、パソコンに山の写真などを取り込めるまでに上達する。そこで昔の古いアルバムの写真を取り込もうと思い立ち、幼年時代に住んでいた田舎の廃屋を訪ねる。しかし、廃屋の空気が、スキャナーでパソコンに取り込むというたくらみをあっさり捨てさせる。

 ≪アルバムは廃屋の押入れに入っているからこそ、捨て去るべき記憶としての価値がある。パソコンのスライドショーのなかにこの写真が出てきたらきっと目をそむけるだろう。≫

 南木佳士は遅ればせながらパソコンを取り入れ、デジカメによる写真の取り入れまで修得したが、結局、パソコンの世界にリアリティを感じることはできない。ここに南木佳士の限界を見ることは容易だが、それは仕方のないことだろう。しかし私は、文学的にはパソコンに対する驚きと違和感を持ちつづける南木佳士の素朴さを信用する。

 ■猪瀬直樹の「菊池寛論」は夏目漱石小林秀雄を超えたか。

 道路公団民営化問題などで忙しい猪瀬直樹が、一方で「菊池寛論(評伝)」を連載していたことはあまり知られていないだろうが、その菊池寛伝が完結し、本になったことを記念して「文学界」が特集を組んでいる。むろん「菊池寛特集」はすばらしい好企画だが、菊池寛擁護論から夏目漱石批判にいたる猪瀬直樹の主張そのものには若干の疑問を感じないわけにはいかない。私見によれば、猪瀬直樹のモチーフは「大衆文学中心主義」による「純文学批判」である。菊池寛伝ではそれがさらに増幅されその思想が露骨になっている。

 かつて、小林秀雄大宅壮一を比較して、大宅壮一の方が本の売れ行きがいいから、大衆的なレベルではあまり売れない「小林秀雄的批評」より「大宅壮一的評論」の方がすぐれていると宣言した猪瀬直樹だが、今でもそう信じているのだろうか。ちなみに「小林秀雄全集」は最近、二回も出ているが大宅壮一全集はどうだろうか。今でも刊行され読まれているだろうか。言わぬが花だろう。要するに猪瀬直樹には批評的思考力と存在論的思考力が欠如しているのだ。

 さて、最後に、太宰治が、弘前高校時代に学校の機関紙に書いた新発見小説「哀れに笑ふ」が「新潮」に載っているので一読したが、さすがだと思った。小説は文体である。太宰治の気持ち悪くなるような柔軟な思考力は、その文体と無縁ではない。今月発表されたどの小説よりもエロチックで刺激的である。小説とはこういうものでなければならない、という見本がここにある。