■ニッポンの小説はどこへ行くのか

■ニッポンの小説はどこへ行くのか
「文学界」四月号に、古井由吉筒井康隆等のベテランから島田雅彦車谷長吉の中堅、そして本年度前半期の芥川賞を受賞したばかりの新人・川上未映子まで、総計11人の現役作家たちが集合し、大座談会を行っている。題は「ニッポンの小説はどこへ行くのか」。この座談会のメンバーを見て、そして彼らの発言を追っていくと、まだまだ文学や文壇というものは捨てたものではない、と思う。この座談会は、50年前、13人の作家や批評家が集まって「日本の小説はどう変わるか」という題で議論した座談会の再現を目指したものらしい。50年前のその座談会とは、江藤淳石原慎太郎大江健三郎等の大物新人が次々にデビューした頃で、一方には深沢七郎の「楢山節考」や原田康子の「挽歌」が脚光を浴びたり、また中間小説という新しい小説のジャンルが台頭してきたりで、文学華やかなりし頃とはいえ、まさしく文学や文壇が転換期を迎えていた頃に行われたものらしい。その座談会で大岡昇平が、「中間小説は近い将来テレビに食われちゃうと思うな。われわれは骨のある仕事をしていればよいのだ。」と問題の本質を見抜いていたかのように断言したらしい。実際にその通りになったわけで、今、中間小説なんて言っても若い人は首を傾げるだけだろう。さて、50年前は中間小説の台頭が純文学を脅かしていたわけだが、50年後の今もまた、新しい中間小説とでも呼ぶべき「ライトノベル」や「ケータイ小説」なるものが台頭し、純文学や文壇の側はそれに対して戦々恐々で、どう対処すべきかを悩んでいるところである。ところが、この座談会の出席者の中ではもっとも若い世代に属すると思われる田中弥生山崎ナオコーラが、「ライトノベル」や「ケータイ小説」ではなく、古典的な純文学擁護論を展開しているのが面白い。まず田中弥生から。

今は、広告的な文章が氾濫していて、テレビはもちろんですが、ポスターや中吊り広告に囲まれて生活している。そういうところで主流となっている言葉に違和感を覚えた時に、昔の本を通してしかそれを確認できないのは、いびつだと思いますし、それを現在形で考える場として、文芸誌的なものがあるんじゃないかと思うんです。たとえば自動車市場の中心に、公道でのマナーに一見反する、F?があるように。(中略) 普段はやってはいけないようなスピードでカーブを曲がったり、普通に生きている分には役に立たないし、短期的にはペイしないかもしれませんが、そういう場所やドライバーは、何かしらの形で保護されるべきだと思うんですよ。

これは田中弥生の言葉だが、「保護されるべきだ」という部分を除けば、私には彼女が言いたいことがよく分かるし、「F?」の比喩も、充分に納得できる。私は、こういう、ある意味では単純素朴な純文学論に久しぶりに接した気がするが、実はこういう風に、流行や世論に迎合せず、明確に純文学擁護論を展開するにはそれなりの文学的才能と文学論的思考の訓練と蓄積が必要だろうと思う。誰でもが簡単に言える言葉ではない。
■ わかりやすい言葉の「わかりやすさ」を疑え。
次は山崎ナオーコーラの発言から。

ラノベとかケータイ小説のことをなぜ「文学界」の人たちが聞きたがるか最初謎だったんですけど、筒井さんがおっしゃるように、要は羨ましいんだと思います。売れてるから。でもラノベとかケータイ小説が新しいものだという感じはあまりないです。昔からキャラ萌えとか、ストーリーで読ませることで読者をひきつけてきた小説はいっぱいあったはずです。だから、今さらそれについて特別に何かを考えなくてはならないという必要は感じないです。/私としては、小説を書くことで言語芸術を作りたいと思っているので、純文学という概念はこれからも打ち出していきたい。自分がこれから時代を作っていきたいと思っています。(司会・高橋源一郎……「純文学という看板を出すということ?」)出します。純文学シーンを盛り上げたい。その中で自分のできる仕事をしたいと思っています。(中略)使命感という話で言えば、私はテレビとか映画にできない、小説しかできないことをやりたいんです。言いたいことはないけど、やりたいことはある。言葉だからこそハッとする、というような体験を作り出したい。それが今の文学の中で私のやりたい仕事です。そのときに私一人だけが目立つ必要はなくて、文学シーン全体が盛り上がることが重要なんじゃないかなと思います。その一部分を私がやっていけたらいいです。(中略)私個人の小説観としては、小説を書く理由は仕事だからでも、自分のためでも読者のためでもないのです。要は芸術だから頑張っているという気持ちです。

ここで、山崎ナオコーラが、時流に迎合せず、孤立無援を覚悟の上で、純文学や芸術に託して言おうとしていることは決して新しいことでも難解なことでもない。おそらく日常的な世俗的世界から文学的、芸術的な非合理の世界への飛躍ということだろう。
ところで、50年前の座談会は、江藤淳高見順が、私小説をめぐって大激論を戦わせたことでも有名だが、今回の座談会でもまた、最終的には、私小説の「私」とは何かという議論になり、「ヘソなし小説」という同じ話題が中心になっている。言い換えれば、これは、私小説の「私」と言う問題が文学にとって普遍的なテーマだと言うことだろう。古井由吉は、50年前と比べて私小説の「私」が希薄になっていると言い、また「私小説というのは三重ですよ。著者の私でしょう。それから主人公の私、その間にナレーターがいる」と、私小説の「私」の三重性を指摘するが、それに対し車谷長吉は、「私小説にはウソを入れなければならない」となかなか鋭いことを言っている。それぞれ面白い発言なのだが、ここでも、田中弥生が、小説の中の「私」について、わかり易く語っているのが目を引く。

「まず小説に『私』と書いてあったら、この『私』は何を指すかというところから始めるのが、読む時のリテラシーであって、『私』といったら何となく無条件に『私』と思う時点で、もう、その本を読んでいることにならないんじゃないでしょうか。(中略)結局、個々の作家が使う『私』というのが、現実と虚構のあいだのどこの部分を指しているかを読むのが、最終的にはその本を読むということだと思います。そういう意味では、ヘソなしというのはあり得ない。作品全体が『私』と言っているところの『私』が、どういうものであるかを読むことが必要だと思います。

むろん、田中が指摘している「私」の問題は、私小説や小説だけの問題にとどまるものではない。それは、あらゆる自己表現につきまとう本質的な問題なのだが、ただ、この「私」という問題に固執するのが小説の書き手や読み手だけだということから、文学にとって普遍的、本質的なテーマになっていると言うことだろう。言い換えれば世間に流通している言葉はわかりやすいが、しかしわかかりやすいということは、こういう「私」にまつわる言語表現の厄介な問題を排除しているということでもある。座談会における「私」へのこだわりを見ていくと、現代の作家たちにも、まだ、表層的なわかりやすい言葉の世界に留まるのではなく、文学的、芸術的な「あいまいさ」への関心を保持していることがわかる。「わかりやすさ」に安住していている限り文学や芸術の深淵に触れることもその世界に参加することも出来ない。謂わば「わかりやすさ」こそは文学や芸術の敵なのである。「わかりやすさ」の世界に安住している限り、安定や秩序に支えられた平凡な市民生活は得られるだろうが、覚醒や発見、あるいは驚きや浄化や快楽とは無縁であろう。筒井康隆も、こう言っている。

僕は小説における「私」とは、もう作家個人の文体にしかない、と思っています。文体は作家の思考の過程だから、文体をじっと見ていたら作家も分かるはずなんですよ。田中さんが言ったように、「ヘソなし小説」というものはあり得ないということですよ。

「私」の問題は文体の問題である、と言うわけだが、これは、われわれが、日常的な、合理主義的な意味の世界から決別し、非合理主義とか神秘主義、あるいは曖昧模糊とした芸術至上主義とでも称すべき非日常的な世界へと移動しなければならない、ということだろう。そこでは言葉は意味の次元においではなく、主に文体の次元で読み取られるのである。
■まず証言や告白を疑うことから始めよ。
ところで、大江健三郎が出廷して、被告席で、「罪の巨塊」だか「罪の巨魁」だかという言葉をめぐって、延々と思弁的な思考を展開した、先程の「沖縄集団自決裁判」だが、そこで私がいちばん驚いたのは、大江健三郎の証言に対して、かなり多くの人が、「難解で理解できない」と評するならまだしも、それとは逆に「わけわからん」「支離滅裂」「妄想」というような種類の批判的な感想を次々に述べたことであった。もともと現代文学や純文学などには何の関心もなかったかもしれない原告の老人・梅澤裕・元座間味島守備隊長が、大江発言を、「わけわからんことをくだくだ述べて……」とか言うのならまだわからなくはない。だが、賛否両論はあるにしても、いやしくもノーベル賞までも受賞し、まだ現役作家として現代文学の最前線に立つ大江健三郎の言葉を、こちらもまた現役パリパリであるはずの秦郁彦のような、論壇やジャーナリズムで活躍する人たちまでもが、そう言ったのには驚きを通り越して、現代日本人の思考力と読解力、そして想像力の低下と欠如、あるいは文学的なものや芸術的なものへの関心の欠如に呆然とせざるをえなかった。いずれにせよ、わかりやすい言葉の「わかりやすさ」を疑わないかぎり、文学も芸術も、そして宗教や哲学も理解できない。従って、わかりやすい言葉の意味の世界に留まっているかぎり、告白や証言につきまとう嘘や欺瞞を見破る事は出来ないだろう。
さて、最後になったが、平井金三という日本人の名前をどれだけの人が知っているだろうか。私は、今日まで、まったく知らなかった。平井金三……初めて聞いた名前であるが、この人こそ、大乗仏教アメリカを初めて出会わせた男であり、鈴木大拙西田幾多郎柳田國男というような近代日本が産み出した真に独創的な思想家・学者たちの起源と源泉に位置している人物らしい。私は、安藤礼二の「近代日本思想史、第八回」(「群像」四月号)を読んで初めて知った。安藤は、こう言っている。

後年になって、平井が関わったどの分野においても、それを大成する者が現れた。そして起源に位置する平井の名前は、単に一過性の「通行者」としてのみ記録され、大部分は忘れられていった。だが今こそ、平井金三の知的放浪の全過程(オンザロード)を明らかにしなければならないのだ

ここに先駆者の栄光と悲惨がある。続きが読みたいと思う評論である。